閉じる

糸井重里さんの「言葉と習慣」。
毎日発信しつづけることの意義とは?

SCROLL

ライオンでは、「より良い習慣づくりで、人々の毎日に貢献する(ReDesign)」をパーパス(会社の存在意義)に掲げています。歯をみがく習慣、帰ったら手を洗う習慣、寝る前に本を読む習慣......。みなさんの暮らしのなかには、さまざまな習慣があると思います。きっと、毎日日記を書く習慣のある方もいらっしゃるでしょう。

今回お話をうかがったのは、株式会社ほぼ日の代表取締役社長であり、コピーライターの糸井重里さん。糸井さんは、1998年6月6日にウェブサイト「ほぼ日刊イトイ新聞」を立ち上げて以来、一日も休まず毎日コラムを書き続けています。そんな糸井さんにとっての「習慣」とは何か、またチームづくりにおいて大切にしていることや、これからの時代の「人間の仕事」に求められるものとは?コミュニティディレクターの田中宏和さんが聞き手を務め、じっくりとお話をお聞きしました。

歯みがきと体重計と、「今日のダーリン」という習慣

写真
糸井重里さん(左)と田中宏和さん(右)

糸井さんは、ほぼ日が運営するウェブサイト「ほぼ日刊イトイ新聞」で「今日のダーリン」というコラムを24年間、毎日休むことなく書き続けています。それでも書くことが尽きないのは、それが習慣になっているから。糸井さんには、さまざまな習慣があるようです。

田中:糸井さんが毎朝やってらっしゃることはありますか?

糸井:朝起きたら、歯をみがきます。寝ている間に繁殖した菌が口のなかにいるといけませんから。それから、パンツ1枚になって体重を量る。これは朝と夜と一日2度、10年以上続けていますね。体重をきっかけに、自分の身体や健康のことを考えるんです。体重測定のあとは朝食をとって、新聞やメール、SNSをチェックして......ごくごく普通のルーティンを、毎日こなしています。

田中:毎日続けられていることといえば、「今日のダーリン」もそうですよね。これまでに「今日は更新できないかもしれない」という日はなかったのでしょうか?明け方になっても文章が浮かんでこない、とか。

糸井:浮かんでこないことは絶対にないですね。書けないときは、「書けないとは言えさぁ」って書いてしまえば、次の一文は続けられる。でも、自分のなかで、それを読んだ人が面白いと思えるコラムになっているかはチェックします。仮に締め切りギリギリでなんとか出せたとしても、「つまらなかった」と言われてしまったらおしまいですから。

画像
ほぼ日が運営する「ほぼ日刊イトイ新聞」で連載中の「今日のダーリン」

「下手でもいいから今日書いたものを」。糸井さんが大切にする言葉の鮮度

糸井さんは、コラムを書き続けるにあたって、「原稿を書き溜めておくのは嫌だ」と語ります。事前に書いておくのは、時差があるところに旅に行くときだけ。それゆえ、あらかじめ書いておいたコラムを出したのは24年間でほんの数回だそうです。

田中:ストックしておいたコラムを出したくないのは、言葉の生産者として、鮮度を大事にしているからですか?

糸井:下手でもいいからそのとき書いたものを出したいんです。

田中:なんだか魚屋さんみたいですね。

糸井:「釣ってから日にちが経って鮮度の落ちた鯛を出すよりは、いま釣ってきたイワシを出したい」っていう気持ちですかね。在庫をためておいて商売するっていうのは、ぼくには合っていないと思うんです。いまこの場で、あなたと会ったからこそ生まれたものを愛でたい。

写真 糸井重里さん

どこまで煮詰めて言葉を出すべきか?ネタにより最善を見極める

2022年7月の「今日のダーリン」で、糸井さんは「心が変われば行動が変わる。行動が変われば習慣が変わる。習慣が変われば人格が変わる。人格が変われば運命が変わる。」という言葉を取り上げていました。アメリカの哲学者、ウィリアム・ジェイムズの言葉です。糸井さん自身、「今日のダーリン」を毎日書くという習慣によって、変わったものも多いはず。明日書くことを考えながら、毎日を過ごすことについて聞いてみました。

田中:毎日「今日のダーリン」を更新するということは、毎日書くネタを探しているということですよね。

糸井:「これについて何か書くことになるのかな」って思いながら、目の前のものをじっと見る、ということを毎日繰り返しています。書いていない時間にも、書く準備をしているといいますか。カメラマンが、歩きながら見る風景を「良い絵だな」と思いながらも、カメラを持たずにいるのと同じようなことですね。「これってなんだろう」と気になった、その思考をもう少し深めると文章になるわけですが、「なんだろう」を繰り返すことで、その後の「深める」という作業が苦ではなくなるんですよね。

田中:そうした毎日が習慣として継続されることで、24年分の魅力になっていたのですね。

糸井:途中まで書くだけでも何とかなったり、途中経過も書けたりするのが「今日のダーリン」なんです。完結できなくてもいい。書いたものが誰にチェックされるわけでもないですし、「俺の場所だ」って気分でいられるというか、ある程度自由に書けるんです。

そんなメディアの自由度に合わせて、ものを考えていく。その日考えたことでも、まだ発信するには早かったり、棘がありすぎたりする話もあるわけです。そういうときは時間を置いてから、応用したり、切り口を変えたりして、「アク抜き」をします。これがとても重要で、たとえ遠回りしても、最終的に伝えたいことにゆっくり辿り着けばいいんです。

田中:「アク抜き」とともに、糸井さんはまだ「生煮え」の考えを発信する、というようなこともされますよね。

糸井:「反響を見てみるために、中途半端な状態で出す」ということではなく、「生煮え」でも、完全に煮えたものよりいいなと思えるときに限ります。ちゃんと調理し終わっていても、面白みがなく、それ以上広がらないようなものになるようであれば、出したあとでみんなで突っつきあって喜べる「先」があるもののほうがいい。その「先」が広がっていけば、「今日のダーリン」でもまた取り上げられますから。

写真 糸井重里さん

大切なのは「勇気的なもの」。それを呼び覚ますために必要なこととは?

予測不可能ないまの時代。自分の力ではどうしようもないことに翻弄されてしまいそうなとき、糸井さんは、最悪な状況に陥ったときに自分がどうするかを「想定してみる」そうです。覚悟することで、「勇気的なもの」が湧いてくると言います。

田中:「勇気」ではなく、「勇気的なもの」ですか?

糸井:ストレートに「勇気」とは言えないけれど、「勇気」という言葉で代用されるようなもの。自分がより大きく構えられるようになったり、物事を前向きにとらえられるようになったりする、そんな気持ちが湧いてきたときに「勇気的なもの」と表現するんです。国語として考えたら、「その『的な』というのは、なんですか!」と叱られてしまうのでしょうけれど。勇気って、それを振り絞った人を見ると、周りの人も自然と「自分もそうなれたら」と思えるような、すごい力だと思います。

田中:たしかに、ドラマやマンガなどの物語には「勇気的なもの」が非常によく描かれていますよね。一方、普段の生活では鳴りを潜めてしまうことが多いような気がするのですが、それはなぜなのでしょうか。

糸井:何かにしばられすぎたり、何かを怖がりすぎたりするからじゃないかな。「いつまでもこの辛い状況が続くんじゃないか」と感じているときは、いちばん怖いですよね。人は「きりがない」状況が怖いんです。

そんなときに大切なのは、「覚悟を決めること」だと思います。たとえばビジネスの世界なら、「最悪の状況」ってだいたい、「いくら損する」とか「信用が失われる」ということに置き換えられますよね。その状況を一回、とことん想定して、覚悟しておく。そうすると、そうなることを一度忘れられる。「勇気的なもの」がわいてきて、とりあえず今日のところは元気でいられると思うんです。

写真 糸井重里さん

経営者として大切にしている、チームプレイの思考習慣

「最大のリスク損失を考える」、という糸井さんの思考習慣は、経営者として培った思考習慣だといいます。コピーライター・糸井重里から経営者・糸井重里に変わったとき、どんな変化があったのでしょうか?

糸井:経営者としてというのかはわかりませんが、つねにチームプレイを考えるようになりました。フリーランスなら、自分がさよならホームランを打って勝つ、というのが最高の勝ち方。でも、チームで試合をするとなると、自分以外のメンバーがいるわけですよね。彼らをどう塁に出すか、いかに走者を返すかが大事になってきます。むしろチームだと、自分がしたいこととみんながしたいことが合致しているほど、面白い仕事ができる。......そう考えると、奈良の大仏は誰がつくったのか、ということって気になりませんか?

田中:奈良の大仏は誰がつくったか、ですか?

糸井:そう。奈良の大仏って、ひとりでつくれるようなスケールのものではないですよね。材料となる木は山に生えているから、運ぶだけでも大変です。みんなの総合力が必要になりますから、ひとりが1本ホームランを打つことに比べて、膨大な時間もかかります。

田中:たしかに、たとえばルネッサンスの時代の芸術家でも、レオナルド・ダ・ヴィンチやミケランジェロなどといった名前が現在まで語り継がれていますが、その裏側には名もなき工房のメンバーの存在があったと思います。

糸井:そう考えると、名前はただのシンボルにすぎないですよね。個人の名前が消えたとしても、自分がやりたいことや、やったことが残るほうがすごいと感じるようになりました。いまの時代、ひとりでやることには限度がある、チームじゃないとできないことのほうが多いということに気がついたんです。

田中:チームプレイのすごさとは何でしょう?

糸井:仕事をしているうちに、そのチームを構成するメンバーの素晴らしい個性が自然と活かされていると気づくことがあるんです。それこそがチームのすごさだと思います。よく「魚を飼うっていうのは、水槽をつくること、水質をつくること」だと言いますが、チームをつくるというのも、そのチームメンバーの習慣や環境をつくることなんでしょうね。

写真 糸井重里さん(左)と田中宏和さん(右)

「納期と予算と人数」を超える、「人間の仕事」とは?

糸井さんが、ほぼ日のミッションとしてつくった言葉に、「今日も、きみの仕事が、世界を1ミリうれしくしたか?」という問いかけがあります。自分のがんばりによって、世界が少しでもいい方向に向かっている、と実感することが大事なのだそう。そこには生身の人間だからこそできる、「人間の仕事」があります。

糸井:仕事の話をしているときに、よく「納期と予算と人数」の話しかしないことってありますよね。その3つがクリアされるとみんな安心したような顔をして、もうできたようなものだと言う。でもそれは、ぼくの仕事じゃないと感じてしまいます。

田中:「納期と予算と人数」だと「品質」の話が抜けているし、「予想外」がないですよね。

糸井:「面白さ」がないんです。人数がどのくらい必要かとか、納期が間に合うかとか、予算によってクオリティーが変わるとか、それしか考えない仕事なら、人間がやる必要はない。

「納期と人数と予算」だけを考えているチームより、不完全だとしても面白いものを生み出そうとしているチームのほうが、何かを生む気がします。いわゆる「直感」みたいな人間のすごい部分、そしてその「直感」が動かしている「人の生活」を考える。そこにこそ「人間の仕事」が必要なのだと思いますし、そういう仕事がこれから先ももっと必要とされるのだと思います。

ホワイトボードの写真 「今日、きみの仕事が、世界を1ミリうれしくしたか?」

取材にうかがったほぼ日 本社の受付の脇に、糸井さんが書かれた言葉がありました。「今日も、きみの仕事が、世界を1ミリうれしくしたか?」。私たちもそんな気持ちで、1日1日の仕事を積み重ねていきたいと思います。

Share