引き続き宣伝広告に使われたユニークな印刷物をご覧いただきます。
ここは、太平洋戦争後のものばかりです。
ライオン歯磨本舗(株)小林商店は、大正2年(1913年)に「講演会」活動を始めて以来、さまざまな口腔衛生普及活動を続けていました。しかし、戦争のためにすべてを中断せざるを得なくなりました。
戦後は、1946(昭和21)年に口腔衛生活動を復活しました。この時、活動を担当したのは「事業課、歯科衛生課、講演課、内務課」の4課と「口腔予防科学研究所」で構成された「文化部」でした。
さて、文化部が取り組んだ事業の一つに1950(昭和25)年の幼稚園児向け「ぬり絵」募集があります。
まず、「ぬり絵」募集の宣伝物をご覧ください。「ぬり絵」募集とは下のような「はみがきカード」の内側に印刷された絵に色を塗って応募(幼稚園に提出)するものでした。
「はみがきカード」には「はみがきカレンダー」もついており、歯みがきをした日に色を塗るようになっていました。従って、園児たちは「ぬり絵」を応募するために、歯みがきも一生懸命にがんばったことと思います。
ライオン歯磨株式会社としては、そのような行動の中から、園児に歯みがきの習慣が身につくことを願っていたのです。
幼稚園長宛の「ぬり絵」募集案内状には次のように書かれており、当時の日本の置かれた状況がわかります。
「・・・御承知の如くGHQの指導により、幼稚園、学校に於ける健康教育は非常に重要視されて参りましたので、当社も幼児の歯科衛生教育運動を戦前に倍し大いに努力致したく存ずる次第であります。・・・」
また、「はみがきカード」には園児の両親向けに次のように“3・3・3式歯のみがき方”を紹介しています。
「アメリカの歯の衛生は世界で一番進んでいますが、最近“3・3・3式歯のみがき方”ということを公衆に教えています。お砂糖その他の炭水化物を食べるとわずかの時間に歯の凹みでバイ菌が分解して歯をとかす酸を作り、ムシ歯が始まります。」
ところで、この「ぬり絵」募集の企画は作品の優劣をつけるものではありませんから、応募者全員に左のような「ごほうび」がありました。
紙製の「ごほうび」袋は同じですが、中身は男児用と女児用の2種類が用意されていました。
男児用は、“奴凧(実際に揚げられるミニ凧)”、“紙製の落下傘”、“吹き戻し(紙製の伸び縮みする笛)”、“千代紙”、“電車パスの綴り”です。
女児用は、“ひばりちゃんおどりきせかえ”、“紙風船”、“女の子の顔を描いたシート”、“千代紙”、“電車パスの綴り”です。
電車パスとは、園児たちが紐を輪にして遊ぶ“電車ごっこ”に使うキップのことです。本物っぽく作られたパスはとても大切な役割を果したと思われます。パスを持っていない子は電車に乗せてもらえなかったりして・・・。
この企画は夏休み中の作品を募集するということで9月に締め切りましたが、好評のためにすぐ2回目が行われています。今度は冬休み中の作品募集でした。
1953(昭和28)年2月、ライオン歯磨株式会社は社会生活の変化と教育的視点を考慮して、文化部の機能強化を図るとともに名称を口腔衛生部と改めました。
左の宣伝物は、この頃に作られた「ライオン・バースデー・プレゼント」です。
幼稚園の「歯みがき指導」で使用されたものと思われます。
左はバースデー・プレゼントを入れた紙製の吊手付カバンです。
“きりぬきあそび”や、“パズル”などその時に応じて色々なプレゼントが入れられました。
カバンの片側には動く仕掛けが施してあります。ウサギさんの尻尾を上下に動かすようになっています。これを動かすと・・・クマくんが歯をみがきはじめます。
この時、クマくんは目を白黒させ、左手に持った「こどもライオンはみがき」を上下に振ります。同時に、「みがいて」の下が「おはよう」から「おやすみ」に変り、さらに太陽が月に変わるという凝りようです。
カバンの一つからは、左のような“お誕生日カード”、“みどりちゃん人形”、“きりぬきあそび”そして“パズル”が出てきました。
“みどりちゃん人形”は、両足を持って上下に動かすと首を振りながら歯をみがきます。
1952(昭和27)年4月25日、ライオン歯磨株式会社は「ライオン・ヘルスカー」を誕生させました。
いすヾ自動車の大型バス(全長8.3m 巾2.45m 高さ3.1m)をベースとして「ライオン練歯磨」のチューブの形に模して作られました。
歯科診療機器を備えた「動く歯科診療所」の役割を担った宣伝カーです。「近代科学の粋を集めた“動くチューブ”」というキャッチフレーズが付けられました。
自動車自体が珍しい時代でしたから、歯磨のチューブの形をした宣伝カーは全国各地で熱狂的な歓迎を受けました。ライオン歯磨株式会社は1953(昭和28)
年末までに6台のヘルスカー(形は少しづつ異なっていました)を導入しました。サンスター歯磨株式会社(現サンスター株式会社)も同じような歯磨チューブ型の宣伝カー「スマイルカー」を6台導入しています。
この昭和28年の2月にはNHKがテレビ放送を開始していますが、テレビ受信機の普及はごく限られていました。一般化するようになるのは1959(昭和34)
年「皇太子ご成婚」の後のことです。この間、昭和27、28年~30年代前半にかけて、宣伝カーの全盛時代があったのです。
さて、ヘルスカー1号車が全国各地を巡回訪問した時に持参した宣伝物をご覧ください。
上の写真はヘルスカーの形に切り抜かれたカード。本物そっくりですね。裏側には歯みがきの歌「ずるしちゃだめだめ」(サトウハチロー作詞、松田トシ作曲)の歌詞が印刷されています。
下の写真はヘルスカーの紹介パンフレット(2つ折)を開いたところです。 俯瞰のイラストで内部の構造が手にとるようにわかります。
イラストの中のEの記号が歯科診療室です。
Hの幻灯機からはKのスクリーンに投影するようになっています。屋上の格納庫が開いてNの「電動人形」が現れる装置もあります。
電動人形は“動物音楽隊”と名付けられ、ライオン2頭、熊、犬、猿、カンガルーの6頭が音楽にあわせて歯をみがいたのでした。
この後、昭和30年代後半以降になると、シールやステッカーといった新しい方式の宣伝物が現れてくるのですが、全体としてはこれまでに見てきたようなユニークなものはなくなっています。
なぜユニークなものがなくなったのでしょうか?
理由の一つはテレビが普及したことです。
歯磨・歯刷子のような最寄り品の場合、お茶の間に直接メッセージを届けるテレビ宣伝の威力は圧倒的です。手間ひまかかる宣伝活動は下火になりました。
そして、もう一つの理由は日本が豊かになり、宣伝広告物を受け取る側(子供達)が大きく変化したことです。折り紙や電車パスの宣伝物では少しも喜びを感じないくらいに豊かに、そして贅沢になってしまいました。
それにしても、これまでにご覧いただいたチラシや宣伝販促物が非常に素朴なものなのに、何を訴えようとしていたのかがよく伝わってくると思われませんか?
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