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あらためて「噛むこと(咀嚼)」を見直そう

現代の日本人の顔つきは、エラの張った顔が少なくなり、顎の小さな細面(三角顔、うりざね顔)が多くなっていることが指摘されています。
人類学者や歯科医の中には、これは柔らかい食べ物に偏った食生活の影響であると警告しています。
現代人は、硬い食べ物を嫌う傾向があります。
その上、食べ物をよく噛まない、飲物と一緒に流し込むように食べるなど噛む習慣がなくなっています。この結果、顎が十分に発育しなくなっているというのです。
顔が細面になるだけなら問題はないのですが、顎が発育しないと、歯のはえる場所が狭くなって、歯並びが乱れることになります。
歯並びが乱れると見た目が悪いばかりでなく、歯の清掃が不十分になり、ムシ歯や歯周病にかかりやすくなるという訳です。
さらに、食べ物をよく噛むこと、つまり「咀嚼」ということが、口腔保健の面ばかりでなく全身の健康にも大きな影響を与えることがわかってきました。

その効用は、

  1. 噛む刺激によって唾液や胃液の分泌を促進し食物の消化吸収を助ける
  2. よく噛んでゆっくりと食事をすることにより血液中の血糖値の高まる時間が生じ、満腹中枢を刺激し、過食・肥満を予防する
  3. 食物を味わうことにより、心理的満足感、情緒的豊かさを感じ、ストレスを解消する
  4. 顎の動きが脳の血液量を増加させ、知的発達を促進し、老化の予防となる

などです。
さて、口腔衛生普及活動の中で、「咀嚼」はどのように扱われてきたのでしょうか?

その昔、「咀嚼」の教練があった

日本では、すでに明治時代に咀嚼が奨励されています。大正時代になると、米国から伝えられた「フレッチャリズム」の影響により、より一層奨励されるようになっています。
「フレッチャリズム」とは、米国の時計商として成功し資産をなしたホーレス・フレッチャー氏の著書「Fletcherism, how I became young at Sixty」(1913年発行)を土台にした考え方です。
この本には、著者が生命保険に入ろうとしたところ、「肥満は短命」という理由で断られたために、自ら考案し実行した健康法が、食物の摂取方法を骨子として書かれています。
日本に紹介されると、「よく噛む」ということから大きくとりあげられるようになりました。
その頃は、多くの歯科医師が咀嚼を奨励していたようです。このような背景もあって、1931(昭和6)年、日本歯科医師会主催の第4回「ムシ歯予防デー」の標語には、“よい歯でよく噛みませう”が採用されています。

小林商店ライオン口腔衛生部は、幼稚園や小中学校に講師を派遣して「歯磨教練」を行なっていましたが、この頃から咀嚼についても「歯磨教練」の場で指導を始めています。
1934(昭和9)年にライオン口腔衛生部が発行した小冊子「学校歯科衛生に於ける教練の術式」(向井喜男著) には、「歯磨教練」とともに「咀嚼教練(噛み方教練)」「含嗽教練(洗口教練)」の指導方法が記述されています。
では、「咀嚼教練」とはどのようなものだったのでしょうか、その内容を紹介しましょう。
まず、目的は以下のように書かれています。

「咀嚼教練とは、食物を正しく良く噛む咀嚼の練習である。良く咀嚼する習慣の涵養によって、完全なる口腔内消化を営み、栄養能率を増進し、一方、咀嚼による運動効果を以て、口腔組織の血液循環を旺盛ならしめ、歯牙、歯齦の健康を増進し、発育期の児童にありては顎骨は勿論脳頭蓋の正常な発育をも助成することが出来る。」

「学校歯科衛生に於ける教練の術式」
(1934(昭和9)年発行)
同小冊子より「咀嚼教練」の部分

教練の方法については、食べ物を使用しないで顎の運動のみを行なう方法と、実際に食べ物を噛む方法があるとしていますが、できるだけ後者を採用するように薦めています。従って、「咀嚼教練」は昼食時間に、その食事を活用して行うのも「面白い」とも記述されています。
噛む物としては、「たくわん、コンニャク、塩せんべい、果物(りんご)またはゴム」などがよいとしています。
指導者による「咀嚼の価値と合理的な咀嚼」についての講話が終わるといよいよスタートです。

  1. 気をつけ(号令)
    一同不動の姿勢をとる
  2. 用意(号令) 〔参照:上第三、四図〕
    食べ物を右手に持ち、右斜めに高く上げる
    ついで食べ物を口へ入れる
  3. はじめ(号令) 〔参照:上第五図〕
    1~30まで号令とともに食べ物を噛む
    (号令毎に首を縦に振って咀嚼運動に調子をつけること)
  4. 飲みこむ(号令)
    食べ物を飲み込む
  5. やすめ(号令)
    やすめの姿勢をとる

以上で1回目の練習は終りですが、これを3回ないし5回繰り返して行なうことになっています。

明治学院における当時の小学生の「咀嚼教練」風景

食糧不足で「咀嚼」奨励

日本で咀嚼が奨励されて、実際に全国的な運動となった時期がありました。
1937(昭和12)年7月、日中戦争が始まり戦時態勢となります。翌1938年4月には「国家総動員法」が公布され、人と物のすべてを軍事遂行にふり向けなければならない事態となりました。
1940(昭和15)年ともなると、食糧自給という国策が出されています。限りある食糧資源を最大限利用するためには食べ物をよく噛む、つまり、咀嚼は当然のこととして奨励されるようになりました。
この年の第9回「学童歯磨教練体育大会」においては、「歯磨教練」に加えて「咀嚼教練」が演技されました。
ちなみに、この年には、あのフレッチャー氏の本が「完全咀嚼法」と日本語に訳されて出版され、また1942(昭和17)年には「まづタベ方(まず食べ方)を改めよ」(ヨクカム会、竹内圀衛著)が出版されています。いずれも時局を反映したものでした。

「咀嚼体操」の登場

1941(昭和16)年5月4日のムシ歯予防デーには、「健康増進運動強調の夕」(主催:大日本健康報国実践会)が東京・日比谷公会堂で行なわれています。
この「健康増進運動強調の夕」のプログラム内容は、第1部「衛生訓練」と第2部「映画会」で構成されていますが、この「衛生訓練」でまず最初に行われたのが「咀嚼体操」だったのです。
「体操」と表現されているように、噛み方の指導は、下図のように手足の動きを加味した体操の様式を備えていました。
大日本健康報国実践会によって考案されたもので、食べ物は使用しない方法でした。
なお、昭和16年と17年のムシ歯予防デーの標語は、“よい歯でよく噛みませう”でした。

「健康増進運動強調の夕」
プログラム(表紙)
大日本健康報国実践会
「咀嚼体操指導術式」
(1940(昭和15)年発行)より

「咀嚼」奨励キャンペーン

咀嚼励行の活動は、「咀嚼教練」として行なわれたばかりではありません。
1940(昭和15)年、小林商店ライオン口腔衛生部は、咀嚼をテーマとした作品の懸賞募集を行っています。
ポスター、台本(漫才、ユーモア・コント、紙芝居)、標語、論文の4部門で作品が募集されました。
下はポスターの部の入賞作品です。

ポスター入賞作品
1等 2等

標語の部には58,105名もの応募がありました。
上位入賞作品は以下の通りです。

  • 胃に頼るな歯に頼れ
  • 興亜の食料咀嚼でかせ
  • 多く摂るより多く噛め
  • 噛む程よい味よい滋養

ちなみに、懸賞金は、ポスターの部1等に200円、2等に50円、標語の部の入賞に30円が贈られています。

また、1941(昭和16)年には日本歯科医師会が「咀嚼励行運動の提唱」をかかげてキャンペーンを始めています。この「提唱」には、

「精咀嚼(せいそしゃく)は、第一に食物の消化吸収を利して身体の健康を保ち、第二に事実上食物の消費節約となり、第三に自(おのづか)ら支持組織の発育強壮を援(たす)け、第四に歯牙(しが)口腔の清潔を助長する等の四益がある。」

と説かれています。 今日の咀嚼の奨励とは少しニュアンスが違いますね。

その後、「咀嚼」は…

さて、太平洋戦争の後も咀嚼の奨励は行われています。毎年6月4~10日に行なわれる「歯と口の健康週間」(名称は「口腔衛生週間」や「口腔衛生強調運動」等と変更されましたが)の日本歯科医師会の標語には、次のように「噛む」ことが頻度多く採用されています。
1955(昭和30)年と1956年(昭和31)年は“よい歯でよくかみよいからだ”、1958(昭和33)年は“よい歯でよくかみましょう”でした。そして、1959(昭和34)~1969(昭和44)年と1972(昭和47)年~1987(昭和62)年の長期にわたり“よい歯でよくかみよいからだ”でした。
しかし、食べ物が豊富になり、加工食品をはじめとして柔らかい食べ物が多くなってきた日本では、インパクトがある標語とはならなかったと思います。
実態としては、咀嚼という言葉は死語となっていたのではないでしょうか。
食べ物が硬ければ、必要に迫られて何回も噛むことになるのですが、食べ物が柔らかいと、何回も噛まなくても飲み込めてしまいます。
つまり、食べ物を食べるという目的からは、咀嚼は必要でなくなっているのです。
咀嚼を励行するためには、昔より現在の方が環境が悪いといえるでしょうね。
しかし、今こそ、顎の発育や全身の健康への影響を考えて、咀嚼を奨励しなければならなくなっているのです。

(参考文献)
榊原悠紀田郎「学校歯科保健史話」
医歯薬出版(株)「続・歯学史料」

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