さて、こちらの展示室は乗り物関係の資料を展示しています。
乗り物の代表は自動車です。
ライオン歯磨(株)の口腔衛生普及活動に登場した、ユニークな自動車を紹介しましょう。
歯科巡回自動車とは聞き慣れない言葉と思いますが、要するに歯科診療室の機能を備えた、巡回診療をする自動車のことです。
では、このような自動車が登場したのはいつ頃のことでしょうか。
文献によれば、歯科巡回自動車が登場したのは第一次世界大戦(1914~1918年)の最中でした。第一次世界大戦の特徴の一つに、塹壕戦があります。この塹壕戦のために頭部に戦傷を負う兵士が増えて、歯科的処置をする必要に迫られたというのです。悲しい話ですが、最初の歯科巡回自動車は戦場に登場したのでした。
大戦が終わって、歯科巡回自動車は、英国、アメリカ、そしてドイツで児童を対象とした学校歯科のために使用されるようになりました。
日本では、1927(昭和2)年に「クラブ歯磨」を発売していた中山太陽堂が歯科巡回自動車をつくり、「自動車歯科診療班活動」をしています。
しかし、本格的に歯科巡回自動車が活動するようになったのは太平洋戦争後のことです。
1946(昭和21)年9月、当時の文部省は「学校歯科予防施設の振興」という方針を出しました。
当時、学校は戦災により様々な施設を失い、歯科保健状態は極めて不良な状態にあり、学童の歯科疾患を早期に処置することが急がれていました。そのために全国的に歯科医師と看護婦のチームによる学校歯科巡回班を編成し、学童の歯科予防処置と教育を実施しようという計画が立てられ、各都道府県へ補助金が交付されることになりました。
これを受けて東京都では1948(昭和23)年4月、日産トラックをベースに歯科診療設備2セットを搭載した歯科巡回自動車を製作し、運用を始めました。
主として戦災を受けた学校および歯科診療施設のない学校を巡回していますが、この歯科巡回は1日に約50~80人を処置して相当の効果をあげました。
そして、口腔衛生思想の低い辺境地域の学校のみならず、広く一般大衆に対しても啓発活動を実施し、大きな影響を与えました。
1950(昭和25)年5月には、神奈川県でも歯科巡回自動車を導入しました。
このような社会背景の中で、1952(昭和27)年4月25日、ライオン歯磨(株)は歯科巡回自動車「ライオン・ヘルス・カー」を誕生させました。
いすゞ自動車のBX型をベースに製作された歯科巡回自動車は、総経費550万円(車:400万円、諸設備: 150万円)、サイズは長さ8.3m、巾2.45m、高さ3.1mでした。
歯科診療設備は、歯科ユニット(モリタG)一基、こども診療椅子(S.Sホワイト)一基、コンプレッサー、エンジン電気消毒器、キャビネットなどを備えました。正に動く歯科診療室でした。
民間企業が企画製作した児童歯科のための自動車ですから、歯科診療室を移動させるだけのものではありません。こどもたちの喜ぶ要素をふんだんにとり入れた宣伝カー仕立てなっていました。
外観は写真のようにライオン煉ハミガキのチューブの形です。まだ自動車の珍しい時代ですから、この外観だけでもこどもたちの注目を集めるには十分でしたが、さらに屋根の上には電動からくり人形が組み込まれていました。人形はいつもは収納されていますが、催し物の時には蓋が開いて6匹の動物人形がせり出し、音楽に合わせて歯をみがく動作をしました。
テレビ、16ミリ映画の映写機、幻灯機、テープレコーダーも備えていました。後部には小ステージがあり、ここでは小集会の講演、紙芝居、歯磨指導などが行われました。組立式の口腔衛生図版20枚も携帯していましたから、自動車の周辺はたちまちにして路上歯科教室になりました。
ライオン・ヘルス・カー1号車は披露式を終えると早速、九州地方を中心にした巡回を行っています。4月30日東京発。静岡、大津、大阪、そして山陽道を下り5月5日に福岡入り。6日より7月5日まで九州をくまなく巡回して、9日には名古屋にひき返し、浜松、静岡から伊豆に入り、長岡、伊東を巡回し7月15日に東京着。なんと76日間の大遠征でした。
この間、47の小中学校を巡回して、6,146人の児童に口腔衛生教育や診療を行い、30ヶ所で音楽会や映画会を催し、72,100人の観客を集めています。
当時のライオン・ヘルス・カー乗員の活動状況を紹介しましょう。朝6時30分起床、7時出発。午前中に1~2の小中学校で映画上映、講演、診療などを行い、午後にもさらに1校を巡回し、3時頃から販売店巡回(店頭で販促活動)を実施。夜7時から公園や校庭で屋外映画会を開催。宿に着くのが9時過ぎ。それから翌日の準備をして、就寝は深夜12時というハードなスケジュールでした。
道路は整備されておらず、もちろん高速道路などもなく、しかも自動車の性能もよくない時代ですから、ぬかるみにはまって動けなくなることや故障によりスケジュールが大幅に狂ってしまうことが度々ありました。今日、私たちが想像するよりもっと厳しい巡回活動だったと考えられます。しかし、当時の乗員は少しも弱音を吐かず、誇りと使命感に満ちた報告書を残しています。
ライオン歯磨(株)は、この歯科診療設備を備えたライオン・ヘルス・カー1号車の他に、同じへルス・カーと称する自動車5台を導入しました。しかし、この5台はいずれも歯科診療設備は備えておらず、もっぱら口腔衛生の教育と宣伝に活躍しました。
導入順に紹介しますと、2号車は大阪支店に配車されたオランダからの輸入車で、外観は特にハミガキチューブを型どったものではありません。しかし、歯みがきをする電動からくり人形が備えられていました。
3号車は中京ライオン歯磨(株)(後のライオン歯磨㈱名古屋支店)に配車された中型車で、外観はハミガキチューブそっくりです。
4号車は外観が1号車とそっくりの姉妹車。大阪支店の2号車として活躍しました。
5号車はジープ型。道路事情の悪い農山村、辺境の学校巡回に活躍しました。
6号車は屋根の上にメリー・ゴーランドのように回転する歯みがき人形、その下には大きなハミガキチューブを搭載しています。後部にステージを持った大型車で、東京を中心に活躍しました。
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