ライオン児童歯科院は1938(昭和13)年をもって閉院しました。1920(大正10)年の開院から18年間の診療人員は、延べ464,656人でした。この間の治療方針、臨床統計、口腔衛生事業などの詳細は「ライオン児童歯科院紀要」として1939(昭和14)年1月20日に刊行しています。
この後、1939(昭和14)年2月1日、大阪・南海高島屋に歯科健康相談と研究調査活動を専門に行う施設「ライオン歯科衛生院」(歯科治療は行わない)を開設しました。しかし、この歯科衛生院も1943(昭和18)年末に閉鎖しています。
その後、20年余の空白がありましたが、より中立な立場で、より公正な口腔衛生の研究と実践ができるように、1964(昭和39)年10月23日に「財団法人 ライオン歯科衛生研究所」を設立。2010(平成22)年10月に「公益財団法人 ライオン歯科衛生研究所」に移行し、ライオン児童歯科院が設立時に宣言した崇高な理念の下で活動を続けています。
関連情報