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河目悌二

生い立ち

1920年代の河目悌二
(出典:刈谷市美術館「河目悌二」展より)

河目悌二(かわめ ていじ)は、大正から昭和初期にかけて活躍した童画家です。
1889(明治22)年、愛知県碧海郡刈谷町(現在の刈谷市)で生まれ、1908(明治41)年に東京美術学校(現東京芸術大学)の西洋画科へ入学、 同校卒業後、横須賀重砲兵第一連隊へ入隊しますが、怪我のため除隊して一旦故郷へ戻ります。
その後1915(大正4)年に再び上京し、絵雑誌「トモダチ」で子ども向けの挿絵の仕事に携わります。
そして当時すでに小林商店に入社していた東京美術学校の先輩である北島浅一が、自身のパリ留学のために後任として河目悌二を推薦したことがきっかけとなり、1920(大正9)年5月に小林商店の広告部図案係として入社し、博覧会の会場装飾や新聞、雑誌広告など様々な仕事を手がけました。

子どもの口腔衛生普及のために

1913(大正2)年にライオンコドモハミガキが発売され、1921(大正10)年にはライオン児童歯科院が設置されるなど、小林商店は子どもを対象とした口腔衛生を広める普及活動を全国的に展開しており、河目悌二は、子ども向けの小冊子などに童画家の実力を活かした可愛らしい絵を描いています。「習慣づくり」の事例として良く使われている河目悌二の絵は、小林商店が口腔衛生の啓発活動のために作成したもので、児童向けに大人が読んで聞かせる絵本のスタイルの小冊子です。四季折々の何気ない生活シーンの中で、子どもたちが歯みがきしている姿を描いています。子どもたちを楽しませながら、歯をみがくことが当たり前になるように、創意工夫を凝らしていたことがうかがえますね。
河目悌二自身は、イラストなどを作画したほか、当時盛んにおこなわれていた店頭装飾競技の審査員として、効果的なショーウィンドウ作り等にも尽力していました。

朝とねる前の良い習慣 1934(昭和9)年

歯に関する趣味の展覧会

展覧会の様子①

1927(昭和2)年11月に、東京丸ビル内丸菱百貨店において、第1回「歯に関する趣味の展覧会」が開催され、全国を巡回しました。歯に関する博物学的な展覧会で、会場は身動きが取れないほどの盛況ぶりでした。河目悌二は宣伝ポスターの制作を担当し、各地の開催地に赴き会場設営に当たりました。

展覧会の様子②

画像「展示会の様子②」に見える逆三角形のポスターが河目悌二のデザインによるものです。「紙の取り方を経済的に考慮して作れる」として、1928(昭和3)年に発刊された「現代商業美術全集2」の巻頭で紹介されました。

大正期から小林商店では、全国紙などに口腔衛生普及のための大々的な広告を行っていました。河目悌二が描いた紙面広告には「6月4日、全国ムシ歯予防デー・・・10周年」や「小学生彩色懸賞」などがあります。「小学生彩色懸賞」は、夏休みの小学生を対象とした「ぬり絵懸賞で、河目悌二自らが審査にあたっていました。

河目悌二が描いた広告
河目悌二による紙面広告

河目悌二が小林商店に勤めていた時期は、自由闊達な大正デモクラシーの時代で、画家やデザイナー、作家や編集者などの多彩な人材が広告の分野に集結し、芸術性の高い「商業美術」の分野が進展しつつありました。また1923(大正12)年の関東大震災がきっかけとなり、若い芸術家たちが創造への意欲を駆り立て、その一員でもあった河目悌二は、出勤前に童画を描き、また自宅へ帰宅後もまた描くという童画家と会社員との両立を、17年間続けました。1937(昭和12)年、小林商店と大日本飛行少年団の共催による展覧会の展示企画・設営を最後に、同年6月30日付で小林商店を依願退職し、以降は1958(昭和33)年 に亡くなるまで、童画家として活躍しました。 

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