今、「資源の有効活用」ということが世界的に大きな関心事になっています。こちらでは、「省資源」をキーワードにした歴史資料についてご紹介します。
まず、ス・フ(スフ)とは何か、そして、スフの洗濯と省資源とはどのように関係があるのかを説明しなければなりません。
スフとはステープル・ファイバー(staple fiber)の略語です。綿花や木材などの植物繊維に化学的な処置をほどこして製造した人造短繊維です。
開発に成功したのは、毛や綿の資源に乏しいドイツで第一次世界大戦中のことでした。そして、イタリアはエチオピア戦争を契機として、日本は支那事変を契機にしてスフ生産の面で大発展を遂げました。両国共にドイツと同じように毛や綿の資源に恵まれない国です。たちまちにして、この三カ国で世界のスフ生産量の90%強を占めるまでになっています。
日本で生産されていたのは、木材パルプを原料にしたヴィスコース・スフでした。
日本は、それまで毛や綿など被服原料の輸入金額が総輸入金額の3分の1も占めていましたから、非常時の国策としてスフの使用が奨励されました。
ところが、このスフは欠点の多い扱い難い繊維でした。乾いている時は木綿と同程度の摩擦強度がありますが、水中では強度が半減しました。そして、短繊維のためにすぐに毛羽立ちしました。
固型石鹸とタライと洗濯板による手洗い洗濯の時代でしたから、スフを水の中で木綿のようにゴシゴシ洗うとたちまち傷んでしまいました。
また、スフは石鹸分となじむ性質がありましたから、すすぎ残りが起こりやすく、十分にすすぎをしないと黄ばみが生じました。このように、洗濯がとても難しい繊維だったのです。それでもなお、スフを使用しなければならないので、スフを長持ちさせるための上手な洗濯法が望まれたというわけです。
(株)小林商店から分離独立して活動していたライオン石鹸(株)は、清潔な暮らしための啓発活動として洗濯講習会を重視していました。そのために、商品知識が豊富で洗濯の仕方を講習できる人材を養成し、全国各地の婦人会等を巡回指導していました。
1933(昭和8)年には、洗濯知識の啓発活動を専門に行う「家庭洗濯相談所」を設置し、1936(昭和11)年にはこれを発展させて「ライオン洗濯科学研究所」を開設しました。
ライオン洗濯科学研究所は色々な繊維の洗濯法を研究し、1937(昭和12)年「標準家庭洗濯法」を完成させています。やがて「標準家庭洗濯法」は全国の学校の教材に取り入れられ、特に時代の要請であったスフの上手な洗濯法の啓発に貢献しました。
「標準家庭洗濯法」の冒頭には、「衣服資源に恵まれない我国では、洗濯を正しく行ひ、衣服の寿命を長く保たせることは、極めて肝要な事で、殊に今日の如く重大な非常時局下に在っては、銃後を守る婦人の大きな使命の一に数へられるべきであります。・・・」と書かれています。
また、同書の「時代に沿ふ洗濯法」の項には、「世の中が進むに連れて、私共の衣服は益々複雑さを加へ、取扱ひも次第に面倒になり、洗濯も昔のままの仕方では到底間に合わなくなりました。殊に支那事変を契機として『ス・フ』強制使用の発令を見るに至りました結果は、洗濯法の上に一大革命を促すことになりました。・・・」と非常時の対応が書かれています。
なお、ライオン洗濯科学研究所はこの「標準家庭洗濯法」の他に「市販洗濯剤のス・フ洗濯への適否研究」など多くの図書を発行しています。
1938(昭和13)年6月、ライオン洗濯科学研究所は日本橋高島屋で「ス・フの洗濯知識展覧会」を開催しました。
6月10~17日まで8日間の参観者総数は43,800人。先生に引率された女子大生、女学生などの団体参観者もありました。展覧会に携わったライオン洗濯科学研究所の一研究員は、会社への報告書の中で次のような感想を述べています。
「非常に真面目な展覧会で一営利会社の主催したものとは考えられない」。また「見学者はスフの性状およびスフの洗濯ということについては正しい認識を得たとは思うが、“ライオン石鹸”を認識したかどうかは疑問である」と社員の立場としては宣伝色の少ない点を嘆いています。
しかし、「但し、その(ライオン石鹸㈱の)紳士的態度が洗濯研究会役員や関係者には非常に高評をもって迎えられたことは確実である。」とも報告しています。
この展覧会は引き続いて北海道で、7月には大阪南海高島屋で開催されました。さらに9月には新宿三越において「家庭洗濯標準化展覧会」を開催しています。いずれも多大な好評を得ています。もちろん各会場には洗濯相談コーナーも設けられていました。
下は、社内報「ライオンだより」が伝える新宿三越における展覧会の記事です。間違いなく、洗濯と資源愛護が関連づけられていますね。
この展覧会においても、参観者の絶賛を博したのは、ライオン洗濯科学研究所が提案した「標準家庭洗濯法」の実演だったようです。
では、「標準家庭洗濯法」によるスフ洗濯はどのようなものだったのでしょうか。
同書による手順を要約すると、「操み擦ることを絶対にしないで、掴み洗と壓し附洗をする」。そして、「たっぷりと盛った水か微温湯の中で、洗ふ時と同様に掴み洗または壓し附洗の方法で、成る可く芯から石鹸気を除くやうに、水を数回取り換へて充分に濯ぎます」。「搾るには、捻り搾りは断然止めて、壓し搾りをする」。そして「成るべく風通しのよい日蔭を選んで」乾かすということになります。
いかがですか。これでは毎日の洗濯はさぞ大変だったと思われますね。それでもなお、毛や綿の省資源のためにスフの衣服を着なければならなかったのです。
このコーナーで見てきた資料は、戦時下という異常な状況下で、少ない物資の中で生活するための知恵として実施された省資源運動です。
今日では省資源・リサイクル運動は、人間の活動が地球環境に与える影響をできるだけ少なくする目的で行われています。
同じように見える言葉でも、時代や社会環境によって、その意味が大きく異なりますね。
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