国際事業本部
profile
大学卒業後、自動車会社でエンジニアとして4年間勤務。その後、大学に入り直す。二度目の大学卒業後、銀行に勤務。元々、ものつくりに関わる仕事に就いていただけあって、製造業に戻りたいと思うようになり、ライオンのキャリア採用にエントリーした。
今、私はインドネシアでライオンの一員として働いています。海外勤務を希望してライオンに入ったので、夢が叶い、とても充実した日々を送っています。ライオンに入社する以前は、銀行で企業向けローンのリスク分析などの業務に就いていたのですが、数字を扱うだけの仕事で、働いている実感をあまり得られませんでした。どうしても、生産事業に携わる仕事をしたいと思うようになって転職を決意し、ライオンに入社しました。ライオンは長く愛されているブランドであり、多くの人に親しまれていて、とても働きがいのある会社ですね。
ライオンに入社したのは2009年で、初めは国際事業本部で海外の現地法人と本社のそれぞれの考え方を伝え、調整を図る業務をしていました。この間の本社勤務は、海外駐在員になるための準備期間だと認識していました。そこで学んだことは、粘り強く取り組むことの大事さです。日本にいると日本のやり方が当たり前だと思ってしまいますが、現地には現地なりのうまくいくやり方があるわけです。そこのギャップは、粘り強くコミュニケーションを取って、少しずつ現地の人のマインドも変えながら調整していくしかありません。1回ダメだったからあきらめるのではなく、「こうあるべきだ」というブレない軸を持って接していかないといけないのだと痛感しましたね。
2013年9月にインドネシアに赴任しました。1日の仕事の流れは、日本で働いていた時とあまり変わりはありません。最大のカルチャーギャップは、こちらの人は時間を守らない、ということでしょうか。ただ、そこでいちいち腹を立ててはいけないということは、以前の経験から学んでいたので問題ありませんでした。
インドネシアの人口は2億5000万弱ですが、今も2〜3%ずつ伸びています。市場として見た時に、非常に大きなポテンシャルを持っていて、実際に5%超の経済成長を続けているのです。その成長を超える伸びをいかに実現させていくかがライオンとしての課題であり、現地の人と協力してどうやってライオンの製品を売っていくかが、私の務めです。
ASEANの国々におけるビジネスについて日本で注目が集まるのは、「拡大する中間所得層をいかに取り込んでいくか」という点です。私もこちらに来る前は、「中間層に強い競合他社の製品にどう勝っていくか」がポイントだと考えていました。ところが、こちらに来て感じたことは、中間層の一歩手前にいる人々の層の分厚さです。中間層と、これからどんどん日用品を使いだす層との、2面作戦を取らなければならないと考えるようになりました。今後は、本社と協力して新しいブランドの立ち上げに注力していくつもりです。
私がこちらに来る直前、ライオンはインドネシアで「システマ」ブランドを立ち上げました。システマは、普及価格帯の上をいく中間層向けの製品です。この価格帯への製品の投入は、私も本社勤務の頃から熱望していたもので、価格に見合う品質の確保やライオンのブランド力の向上を実現し発売までこぎ着けたことを思うと、感慨深いものがあります。その積み重ねの上に、どれくらいのものを上乗せすることができるか、私にできる限りのことをここインドネシアでやっていこうと思います。
TV会議
本社とのコミュニケーションは、TV会議とメールで行っています。TV会議だからといって、意思疎通に大きな問題が生じたことはありませんね。
社内ミーティング
インドネシア駐在勤務の日本人は、3人だけ。社内だけでなく、現地の人とのコミュニケーションが、決定的に重要になります。
デスクワーク
午前中は、たいていデスクワークをしています。主に、メールや各種の報告をチェックします。
グローバルで活躍できる人材というのは、その人なりの分野における知識と経験を持った人なのではないでしょうか。もう1つは、知識と経験に裏打ちされた「曲げない芯」のようなものを持っていること。常に「こうあるべき」を持っているのだけれども、柔軟に対応する。柔軟に対応するのだけれども、戻るべき原点を忘れずに持ち続ける。多文化の中でミッションを遂行するには、それらが大事なことだと思います。